友好都市訪問2日目_遠野市防災センター

2日目は遠野市防災センターを見学。

遠野市は東日本大震災の発災直後から後方支援都市として、自衛隊・消防・警察等の拠点となり、沿岸部の被災都市(釜石市・大船渡市・陸前髙田市・山田町・大槌町など)を支えた。

現在は、自衛隊などが駐屯した拠点としての面影はなく元の運動公園やグラウンドとして市民に愛され、その一角に消防本部機能などを総合的に兼ね備えた防災センターが建ち、一部には後方支援拠点として機能していたころのボードや、古い送水ポンプなど消防博物館の様な展示がされている。

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-後方支援拠点構想の実現-
本田敏秋遠野市長のお話を伺った、津波災害時の後方支援都市としての機能、そこに至るまでの 各関係機関との交渉や苦労、また、震災発災時のエピソードなど、実際に立ち上げ、陣頭指揮を執った本田市長ならではの体験談を含め、様々な話をして頂いた。

平成16年頃に「宮城県沖を震源とする大地震と津波のリスクが30年以内に99%の確率で発災する」という予測を受け、明治三陸沖地震津波の時に当時の遠野町が果たした役割をもう一度担うべく「後方支援中継基地構想」を纏め、国や県、自衛隊などの関係各所に働きかけた際のエピソードが印象的だった。

各所で構想を説明すると、大多数が「津波の心配がない遠野市長がなんでそんなことを言うのか?」といった反応であり、中には「補助金を引っ張って体育館をつくりたいのか?」といった反応もある中で、自らの信念に基づき後方支援の必要性、立地的に遠野運動公園が最適であると粘り強く説明し、その結果、平成19年に遠野市で開催された岩手県総合防災訓練の際には、通常の防災訓練と併せて沿岸部への医療救護と救援物資輸送の訓練が行われ、9市町村からなる三陸地域地震災害後方支援拠点施設整備推進協議会を設立した。

また翌20年には「陸上自衛隊東北方面隊震災対処訓練-みちのくALERT2008-」が岩手・宮城両県において過去に類を見ない内容・規模で実施され、この訓練により本田市長が掲げた後方支援拠点構想が現実性の高いものとして認識された。

 

-そして東日本大震災発災-
みちのくALERT2008から、2年数か月後の平成23年3月11日14時46分、東日本大震災が発災した。国内観測史上最大の地震は遠野市にも断水や停電等多くの被害をもたらし、特に市役所本庁舎は壊滅状態であったが、被害状況の確認と共に本田市長が出した指示は「運動公園を解放しろ」だった。

二度の総合訓練から、大津波が発生した時は「自衛隊・消防・警察などの関係機関は遠野に終結をする」という意識が共通認識として存在していたため、続々と救援部隊が遠野運動公園に終結し、迅速に救助活動が開始された。死者行方不明者18000人以上、避難者は最大時で40万人以上の被害をもたらした大災害であるが、遠野市の後方支援拠点構想によって救われた命や、避難生活を支えられた人々もかなりの数に上るのではないかという事を改めて実感した。

このことは「職員が闇の中で蝋燭を掲げて迎え入れてくれた、遠野市を拠点とできたことで通常のタイミングより一日から半日早く救助活動が開始できた」という自衛隊員の言葉が表しており、救助活動においての発災直後の1日・半日という時間差は「72時間の壁」といった言葉が表す通り非常に重要であることは言うまでもない。

 

-今も続く支援活動-
発災から約11時間後の12日深夜、大槌町から2つの峠を越えて一人の男性が助けを求めてきた「多くの人々が水も食料もない中で避難し、救助を求めている」という事だった。遠野市は独自の判断で水や食料、毛布などを車に積み込み現地へ送り届け、ここから遠野市の後方支援活動が始まり、その後は市民と行政が一体となって炊き出しを行うほか、全国から集まるボランティアや支援物資の中継拠点としての機能を果たした。

この時の遠野市民による支援活動は現在も「遠野まごころネット」として現在も続いている。また、岩手県内だけでも1000人以上の方が行方不明のままであり、毎月11日には警察・消防による捜索活動が展開され手がかりを探している。

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-過去の教訓に学び将来へ備える-

武蔵野市では津波の心配はいらないだろう、また比較的自然災害に強いとも思える。もちろん、想定される首都直下地震が発災した場合まずは市民の生命・財産を守ることが重要であるが、同時に他の自治体との連携も考えていかなければいけない。今回の本田市長の講演で学んだ教訓は、災害に対する備えもあるが、発災後、特に発災直後の現場の判断や、国や都道府県を介さない自治体間の水平連携、こういった事は主に首長の責務になるかもしれないが、私たち議員にもできることを考えていかなければならないと強く思わされた講演だった。

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